今回の妊娠は2回目でした。一人目の妊娠・出産も少し関係があるかと思いましたので書き込ませていただきます。
●長男の妊娠・出産経過
妊娠5週目 進行流産の診断を受け「あかちゃんは9割、あきらめて。生理の二日目のような出血があれば、すぐに処置をするので朝絶食で来てください」と説明を受ける。その後排泄以外は安静の生活を1ヶ月送る。その後幸いなことに量の多い出血はなかった。
妊娠初期を通して、しょっちゅう少量の出血がある。その都度受診するが受診時には出血が止まっているので医師に「本当に出血してたの?狼少年みたいやな。」といわれる。この医師に期待することはないなと感じる。安定期は順調に経過。逆子をずっと指摘されて体操など行ったが逆子のまま。私は「逆子でも何でも生まれてきてくれたら何でもいい。自然分娩・帝王切開どちらでもとにかく生まれてきてくれたら何でもいい」と伝えていたが妊娠28週、外回転術を実施される。こんな痛み感じたことないとくらい痛くて赤ちゃんをひっぱっているのかと思うとかわいそうになる。結局、逆子はなおらず何のために痛くて辛い思いをしたのか、不満だけが残る。
外回転術後 胎動が少なくなる。受診するが、とくに問題なしといわれる。赤ちゃんが普通の週数より小さいといわれる。妊娠32週1日 お腹のはりが気になるので家ではできるだけ安静にするよう説明を受ける。尿蛋白(±)、血圧は正常。
妊娠32週5日 急激に体重が増える。「夜だし明日は休診日なのであさっての朝一番に行こう」と思い家で様子を見る。
妊娠32週6日 夜7時ごろ寝転んでテレビを見ていると何か流れたような感じがして下着を見る。大量の出血。鮮血色。すぐ連絡し入院準備して病院に。NST、持続点滴が開始され排泄も介助で寝たまま行う。児心音が確認できホッとするが突然、心拍が低下した戻ったりの繰り返し。翌日まで様子みることになる。 最高血圧220 尿蛋白 ++ 妊娠中毒症の診断受ける。この前までなかったのにな…と医師が首をかしげている。
妊娠33週0日 朝から診察。前日と同様の処置のまま夕方まで経過。16時ごろ、状態改善なくNICUのある施設に転院することが決定。いろいろな手続き後、18時ごろ転院。転院先の病院で、検査・診察後すぐ帝王切開をする説明を受ける。 着々と手術準備が行われる。手術が行われるまでに血液の準備をしてほしいと依頼する。(血液型がRhマイナスなのでもし、手術中出血が多く血液が間に合わなくてそれが原因で死ぬのはいやだ。赤ちゃんと会わずに死ねないとそんなこと考えて血液準備を訴えていました。19時35分、手術室に入る。腰椎麻酔。手術経過を看護師が説明してくれる。20時04分、長男誕生。1428g 45cm。産声聞こえず不安。ぱちぱち叩く音がする。小さな泣き声がかすかに聞こえる。その後手術室で始めて対面。体中チューブ・管だらけ・人工呼吸器を使用。 お腹の中で育ててあげられなくてごめんね…と声をかけ触れる。
長男は現在5歳になりました。定期的に小児神経・眼科・発達などのフォローのため受診していますがうれしいことに順調に成長発達しています。
●2回目の妊娠(今回の次男・死産となってしまいました)
平成15年10月14日 初診。長男の妊娠中通院していた医院、出産した医療センターとは違った医院を選びました。(子宮ガン・乳がん検診時に利用している施設で医師の説明・プライバシー配慮などとても好感を持っていたのでもし、妊娠したらここで…って決めてました)長男の妊娠経過・出産時の状況、不安に思っていることを伝える。前回、妊娠中毒症・子宮内発育遅延があったことから低用量アスピリンを妊娠11週~8ヶ月まで服用していくことになる。また、血液型不適合に対しても間接クームス検査を毎回行うことの説明を受ける。
平成15年10月24日、夫の祖母が脳梗塞で倒れ自宅療養。介護のため同居開始。介護保険制度を利用しながら私が主な介護にあたる。小柄とはいえ祖母を抱きかかえたりすることに不安をもつ。介護・家事・仕事…やっていけるのか精神的、身体的にぼろぼろになる。お腹に向けて“居心地の悪いお腹でごめんね”とひたすら謝る。
平成15年10月27日、少量の出血あり、すぐ受診。妊娠初期によくあることでとくに問題ないと。仕事も行ってよいが、力を入れる介護は駄目といわれる。この日から食事の準備以外の祖母の介護は一切せず夫が排泄の世話なども行う。以後出血なし。
平成16年5月4日(お別れ会の日) 体は貧血がひどいものの、検査結果、命を脅かす山は乗り越えました。尿の管を抜いてもらいゆっくりトイレ歩行開始。傷の痛み・子宮の収縮痛・かなりふらつくものの早い回復を目指して動くことには積極的に取り組みました。
午前中、次男に会わせてもらいました。二人っきりにしてもらいました。おっぱいをあげました。次男を裸にして私の素肌と触れ合うようにカンガルーケアのようにして次男をあっためました。冷たかった。あたたかくならなかった。やっぱり目を開けてくれなかった。眠っているようにしかみえない。今でもあのひとときのこと昨日のことのように思い出します。
午後1時すぎから次男をお空に見送る準備を夫と助産師さんと行いました。オムツをつけベビードレスを着せました。長男が選んだよだれかけを身につけました。最初で最後の爪きり、散髪をしました。お別れ会の時間になり次男を抱っこしたまま車椅子で移動しました。小さな棺に私の手で寝かせました。お花やおもちゃ、家族の写真、手紙…を添えました。親族と病院の方々でお別れ会をすませ、我が家の車で次男は出発しました。車を見送り、一人残された私はその後別室にひとりにしてもらいました。最初で最後のドライブ…。それが自分の火葬にむかうためのものなんて思ってもいないことでしょ う。どこに連れてくれるのかな?なんて思ってたのかな?ひとり残されて、火葬の時間をむかえました。想像するだけで狂いました。さっきまでこの手に抱っこしてたのに…。そばにずっとおいておきたかったなぁ。
小さくなった次男は自宅に戻り、ミルクやご飯、果物を頂いたようです。病院側の配慮で、個室を準備してもらいました。5月4日は夫に付き添ってもらいました。そのあとも不安はあったけど、次男のミルクやお世話のことを考えるとずっと付き添ってほしいともいえませんでした。
その後の入院生活は早く家に帰って次男に会いたい、ミルクをあげたい、そばにいてあげたい…その想いだけで毎日過ごしていました。病院スタッフが驚くほどよく動きました。お腹の管からの血液・浸出液がなかなか減らずに結局、管は抜けるまで1週間かかりました。術後1週間後、半分固定具を抜いて翌日、残りの抜糸をしました。医師が来るたびに質問攻撃にしました。家でおとなしくするから早く帰らせて…と言い続けました。貧血はなかなかよくならず点滴・内服をしていました。体より心が苦しい…ただそれだけでした。体のしんどさなんてなんてことなかったです。退院日前日、大部屋に移ってほしいといわれ泣く泣く移動。婦人科の部屋でしたがその部屋の前は母児同室制の部屋。生まれたての赤ちゃんの泣き声…きついってものじゃなかったです。
平成16年5月11日、退院。自宅に帰る前に私がいけなかった火葬場に連れてもらいました。次男がどのようなところで旅立っていったのか自分の目で確認したかったのです。
●今回の経験から…。
私は、看護師ですが入院中は看護師であることをいろんな想いがあってふせていました。死産経験をして感じたことは、医療現場でいかに心のケアーが置き去りにされているかということ。創のケアーは出来ても心のケアーはほとんどと言っていいほど置き去りでした。数人の助産師・看護師さんは心と向き合ってくれました。向き合ってくれるだけで救われました。妊娠、出産はいっぽ間違えば命を落とす、本当に命がけのことであることを改めて感じました。赤ちゃんと母である自分が出会うために、医療に遠慮したり自己判断することはあってはならないのです。私自身、今回、命を守れなかったことを今もなお悔やんでいます。抱っこしたとき、なぜこの子が死ななければならなかったのか…わかりませんでした。この子に死ななければならない理由はなくて結局は自分が早く気づいてたらって思ってばかりです。いくら“胎盤早期剥離だけは予測ができないことなんです。だから自分を責める必要はないのです”と説明されても“あっそうか”とは思えないのです。いろんな想いがありますがとにかくこの経験を無駄にすることは出来ません。無駄にしないで進んでいくことが次男と共に生きるっていうことなのかな…と思います。
支離滅裂・長々とすみません。皆さんが赤ちゃんに会える日を願って、また、皆さんの心が少しでも穏やかになり、天使ちゃんと共に進んでいけますように願うばかりです。ありがとうございました。
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